エミリー・ブロンテとメアリー・シェリー

 

(上は、「嵐が丘」のカバーとエミリー・ブロンテ)

2018年7月30日は、「嵐が丘 (Wuthering Heights)」( 1847年刊行) を書いたエミリー・ブロンテ (Emily Brontë 1818~1848)の生誕200年に当たる。イギリスでは、数々の催しが開かれたようで、BBCニュースにも二度に渡って「嵐が丘」関連の記事が登場した。以前のブログ にも書いたが、私が初めて「嵐が丘」(子供向きの抄訳)を読んだのは小学生の頃。その後、大人向きの翻訳、オリジナルの英語で、と折にふれ、親しんで来た。荒野(ヒース) の真ん中に暮らし、結婚どころか、恋人すら持ったこともないエミリーが、あれだけの物語と人物像を創造したことには、感嘆のみである。

そんなことを考えていたら、つい最近ネットフリックスで見た「The Frankenstein Chronicles ( フランケンシュタインクロニクルズーフランケンシュタイン年代記) に登場した「フランケンシュタイン (Frankenstein)」(1818年刊行) の作者 メアリー・シェリー(Mary Shelley 1797~1851)を思い出した。

(下は「フランケンシュタイン」のカバーとメアリー・シェリー)

(余談になるが、ネットフリックスのTVシリーズは、シェリーの「フランケンシュタイン」とは直接関係ないが、Wikiの解説 (注1参照) には「メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』のイメージを元に作られた作品」とある。時代は19世紀、ショーン・ビーン (Sean Bean) 演ずるマーロツト警部が「8人の行方不明になった子供たちの体の部分を繋ぎ合せた死体を発見。犯人探しに乗り出すドラマ」である。当時の医学/科学への関心と人間の生と死を絡み合わせて、シリーズは高い評価を得ている)

思えば「嵐が丘」の作者、エミリーが生まれた1818年はメアリーの「フランケンシュタイン」が刊行された年でもある。「嵐が丘」の刊行は約30年後になるが、二人とも、当時の女性軽視の風潮を反映して、本名を隠し、メアリーは匿名で、エミリーは男性名で作品を発表。ともに生存中は評価されず、現在のような高い評価を得たのは、死後、何年も経ってからであった。だが、二人の人生は対照的である。

エミリーは上にも書いたように、30歳の短い一生をほとんどヨークシャーの荒野にある家で過ごした。家を離れたのは6歳の時に寄宿学校で半年、24歳の時にベルギーの学校で半年、その他、数ヶ月教師をしたことがあるだけである。上の姉、マリアとエリザベスは寄宿学校で病に感染して病死。残された姉シャーロット、妹アン、弟ブロムウェルと、ヨークシャーの家でものを書いて暮らした。

シャーロットの代表作は、寄宿学校と家庭教師 (governess) 体験を盛り込んだ「ジェイン・エア」、アンの代表作「アグネス・グレイ」も自らの家庭教師体験を元にしている。当時、教育のある娘は、親が裕福であれば「結婚市場」にデビュー、ジェイン・オースティン (Jane Austin) の作品に見られるように「相応しい夫探し」が「仕事」であった。教育のない階層の娘はお屋敷に奉公に出るか、同じ階級の夫を見つけて結婚というのが普通のパターン。

ブロンテ姉妹のように聖職者の家で教育を受けたものの、親に娘を「結婚市場」に出すほどの経済力がない場合、娘たちは宙ぶらりんの立場となる。唯一の自立手段は家庭教師として上流家庭に住み込むことであった。そこでは、お屋敷の家族よりは下、お屋敷の奉公人よりは上、という、これまた微妙な立場に置かれる。ビクトリア朝では「Governess novel (家庭教師小説) 注2」というジャンルもあったくらいで、「ジェイン・エア」も「アグネス・グレイ」もその中に入るだろう 。

それに比べて「嵐が丘」は全く違う世界を作り出している。キャサリンとヒースクリフの恋愛が物語を動かすのだが、なんといっても、ヒースクリフという荒削りで情熱的、かつ復讐心に燃える男を創造したことが、後々、エミリーの作品が人々を驚かせ、魅了したのだと思う。ヒースクリフの心の動きと葛藤が、彼自身を 追い込み、一種の怪物にしてしまった。だが、「怪物」は19世紀の人々の心を捉えなかった。シャーロットの「ジェイン・エア」はベストセラーとなったが「嵐が丘」は不評であった。それは「嵐が丘」がジャンルにはまらず、当時としては異質の作品だったからであろう。入り組んだ複雑な構成、ヒースクリフの鬼気迫る人間像を受け入れるには、時代はまだ、熟して いなかったのだ。恋人もなく、おそらく男性との付き合いが未経験の20代のエミリーが、想像力と創造力で生み出した作品が「嵐が丘」。今では、多くの人の心に残る作品となっている。

外見的には動きの少ないエミリーの人生と比べると、メアリーの人生はいろいろと波乱に満ちていた。フェミニストの哲学者、メアリー・ウルストンクラフト (Mary Wolstoncraft )とアナーキストの哲学者、ウィリアム・ゴドウィン(William Godwin)の間に生まれる。ところはロンドン。母親はメアリーを産んで間もなく死亡、メアリーは母親がウィリアムとの結婚前にアメリカ人との間に産んだ婚外子の娘、ファニー・イムレイ(Fanny Imlay、メアリーの異父姉になる)と父親と暮らす。父親は後に娘を二人持つ女性と再婚、メアリーには義理の姉妹がさらに増えた。メアリーと義母は折り合いが悪かったそうだが、義妹のクレアラとは親しくしていた。

両親は出版社を起こすが失敗。経済的な苦境に陥るなど平穏とはほど遠い環境であったが、教育に関しては、家庭教師、父親のところを訪れる知識人などから、高い教育を授けられ、知的な女性に育った。14歳の時に、父親を慕う詩人のパーシー・シェリー(Percy B Shelley 1792~1822)と知り合う。1814年、メアリーが16歳の時、二人は駆け落ち、フランスへ行く。これにはメアリーの義妹のクレアラも同行した。(これ以前、パーシーは1811年19歳の時に16歳のハリエットと駆け落ち結婚をしていたが、夫婦仲は破綻。とは言え、パーシーがフランスへ渡った時、ハリエットは二人目の子供を妊娠中であった)。また、自由恋愛( Free love) を提唱するパーシーはクレアラとも関係があったらしい。

1815年にメアリーとパーシーが帰国した時には、メアリーは妊娠していたが、子供は早産で死亡。1816年に息子を産んだ。その年の末、パーシーの妻、ハリエットが自殺。直後にメアリーとパーシーは結婚する。この年には、異父姉のファニーも自殺。1816年に生まれた息子と1817年に産まれた娘は、1819年までに次々と死亡。さらに、1822年には夫のパーシーが溺死した。

フェミニズム、アナーキズム、婚外子、自由恋愛、不倫、駆け落ち、今で言うデキ婚、自殺、誕生と死、義姉妹、義母、メアリーの周りには常に波が立っていた。その間、スイスやイタリアを訪れ、詩人のロードバイロン(Lord Byron 1788~1824) などと親しく付き合い、詩人の夫も含めての文学談義に参加。「フランケンシュタイン」はバイロンの「怪奇譚」を書いて見ようという提案に触発され、構想を練ったと言われている。

(上、左はパーシー、右はバイロン)

ストーリーは、科学を盲信する研究者が、科学の力で、盗み出した死体から「理想的な人間」を作り上げる積りが、醜い怪物が誕生。絶望した研究者は、息子たる怪物を遺棄。怪物は彷徨ううち人間性を学んでいくが、醜い容貌が誤解を招き、悲劇的な結末を迎える。殺人を犯すものの、「良き存在」であろうとする怪物と、自らの責任を放棄して怪物を見捨てる人間の理不尽さが際立つ。メアリーの、当時の社会に対する鋭い観察力と批判精神、また、彼女自身の生きてきた中での体験が滲み出ているように感じる。

自然を愛したと言われるエミリーはヒースの丘を歩きながら、「嵐が丘」の構想を練ったのだろうか。文学的ハイソサエティの中にいたメアリーの作品には計算された知性が覗き見える。

さて、日本でエミリーやメアリーと比べられるような作家は、いるのだろうか。いるとしたら、誰?

 

注1 :

“The Frankenstein Chronicles is a British television period crime drama series that first aired on ITV Encore on 11 November 2015,[1] designed as a re-imagining of Mary Shelley’s 1818 novel Frankenstein. Lead actor Sean Bean also acted as an associate producer on the first series. It follows Inspector John Marlott (Sean Bean), a river police officer who uncovers a corpse made up of body parts from eight missing children and sets about to determine who is responsible.”

注2 :

ヘンリー・ジェイムズ (Henry James) の「ねじの回転 (The Turn of the Screw)」(1898年) は怪奇(horror) 小説と言われているが、実は「家庭教師小説」でもある。

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